アルゴの航海日記

「海を越えて、想いをつなぐ」

2016.09.21

弊社アルゴナフトは新潟市に所在し、信濃川河口にほど近い場所にある。この信濃川上流には長岡市という新潟県下第二位の都市があり、かつて長岡藩の城下町として栄え、戊辰戦争、太平洋戦争と二度の戦禍に巻き込まれた。そのたびに人々は粘り強く立ち上がってきたという。

長岡といえば日本三大花火の一つとしても有名であり、長岡花火には「戦没者への慰霊」という意味が込められているという。

終戦直後の1946年(昭和21年)、長岡商工会議所は復興祭を計画。寄付金を募り、市民の力で、翌1947年には、なんと花火を上げた。

今夏、長岡の花火を人生で初めて鑑賞した。例年はフェーン現象による猛暑が多いようだが、その日は時折秋を感じさせる爽やかな風が吹き、空気は澄んでいた。

「空襲で亡くなられた方々の慰霊と平和への祈りを込めて打ち上げます。」というナレーションとともに「白菊」という10号花火3発が打ち上げられ、長岡まつり大花火大会は開始された。

以下、「白菊-shiragiku-伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花」(山崎まゆみ著・小学館)より抜粋。

 

一通りのセッション(1989年/平成元年の「世界デザイン会議ICSID’89名古屋」)を終え、司会者から質問があった。

「嘉瀬さんは、世界各国で花火を上げてこられましたが、次はどこで上げたいですか」

聞かれた嘉瀬は、虚を衝かれた顔をして、黙り込んだ。その沈黙に引きずられるように会場にも静寂が広がった。

暫くして、嘉瀬はゆっくり答えた。

「シベリア、アムール川で花火を上げたい。おらは、戦後、シベリアに抑留されてたんです。おらは生きて帰って来られたけど、帰って来れなかった仲間のために、鎮魂の花火を上げたいと思います」

そう言った嘉瀬は、一瞬、自分の言葉に驚いたような表現をした。

「そん時はさ、『ああ、うまくいったな。また別の家に入って同じ手でパンをもらおうか』っておもったがいや。だけど、よく考えれば、あのばあちゃんだって、貧しい家らった。ソ連の田舎の配給は、日本人の捕虜と同じだったらしいってことをずっと後になって知った。ばあちゃんが、おらの靴下をを受け取らずに、パンだけくれたのは、忘れらんねんな」

 

長岡花火になくてはならない嘉瀬誠次さんは、約三年間、シベリアでの抑留体験を持つ。

戦友への鎮魂、ソ連人から受けた感謝の気持ちを嘉瀬さんは忘れることはなかった。その想いは1990年(平成2年)、ソ連崩壊前のハバロフスクで幾多の困難を乗り越え、「アムール川花火プロジェクト」として実現する事になる。その時、初めて「白菊」は打ち上げられた。

私は「白菊」を郷土の誇りと感じる。「白菊」はソ連にも咲き、日本にも咲き続ける。弊社のスローガンは「海を越えて、想いをつなぐ」である。先駆者の想いを噛み締め、新しい仕事の花を咲かせ続けたい。

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※白菊。「平和と復興への祈り」(長岡デジタル写真感「長岡まつり大花火大会」)より